多摩テック跡地2023の現在!閉園理由や跡地問題、廃墟には何ができるか調査!

多摩テックの現在と跡地、閉園理由

かつて東京日野市にあった「多摩テック」。多摩丘陵を利用して作られた、モータースポーツをテーマにした遊園地でもある多摩テックの跡地は、今どうなっているのでしょうか?

かつてはモーターアトラクションの他、プール、観覧車、ゴーカートなどのアトラクションの他、温泉やキャンプ場などもあり、最盛期には100万人が来場したと言われる多摩テック。

2009年に惜しまれつつ閉園してまもなく15年が経とうとしています。

多摩テックの跡地廃墟とも言われていますが、侵入者を防ぐフェンスの中はなんと想定外の様子に。現在について詳しく調査しました!

また多摩テックが閉園した理由や、その後揉め事となった明治大学が関わる跡地の色々な問題、今後、跡地に何ができるのか、などについてお伝えします。

目次

多摩テックがなくなったのはなぜ?閉園理由

多摩テックがオープンしたのは1960年代。最初はオートバイ好きに向けたバイクのコースを備えた「オートランド」でした。

その後観覧車やアトラクションなどができましたが、多摩の丘陵地の急勾配を生かした、ライド型のアトラクションも複数登場して人気に。

いっきに遊園地色が強くなっていきます。読売ランドや西武園と違う点はモーター系のアトラクションがあったこと。モーター好きが集まります。

さらには掘削で温泉が出たため、温泉施設「クア・ガーデン」などもできて、さらに人気の場所となりました。

ただ、2000代に入り、ユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーシーという大規模なテーマパークができ、入場者は現象の一途に・・・。他のテーマパークと同様に閉園の影が立ちこめます。

2002年や2004年には「キッズドライブ」などの子供向けアトラクションを作ったりしましたが、2003年には人気の絶叫マシン「ワイルドリバーアドベンチャー」の営業を終了、続いて「UFO」なども終了。

2007年にはリーマンショックが起こり、最終的には2009年に「修理の資材の調達に時間を要する」という理由で休止、そのまま閉園となりました。

時代の流れによる経営状態の悪化、惜しまれながらも閉園ということになります。

多摩テックの跡地2023の現在!今は廃墟というのは本当?

多摩テックの広さは120,000平方メートルほどあると言われています。この広大な土地は、現在は未利用のまま放置されています。

周りはフェンスで囲われ、遊具のほとんどは解体されたものの、一部の建物やレールの一部などは残ったままとなっていますが、閉園して14年ほどが経っているのでまるで廃墟と言われているようです。

多摩テックの跡地の現在の様子は?

今年の夏の、多摩テックの正面入り口はこのような状態です。

外からの見た目はこのようになっています。中には入ることはできません

正面入口や天然温泉のあった場所はこのような雰囲気に。

多摩テックがあった場所は元々は多摩の自然が豊かな丘陵地帯。跡地はそのまま自然化が進み、上空からみるとこのように緑が多い茂っています。

こちらも空撮。緑の中にところどころレールが残っている様子がわかります。廃墟ではなく、どこか幻想的な雰囲気すら感じる自然豊かな場所になっていますね。

周辺からはフェンスで中が見えませんが、なんと野生動物が住む跡地になっていることでも有名。

夜になると動物の鳴き声などが聞こえるそうですよ。後半でお伝えしますが、この辺りで有名なあの動物も。

撮影された廃墟の様子(動画)

多摩テックの現在を捉えた様子がこちら。2022年撮影のものですが、空撮なので中の様子もわかります。

レールの一部や、建物などの名残を見ることができます。

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